存在する術
1978年(昭和52年)にメヂカルフレンド社から、
『看護技術論』 という本が出版されている。
その中に、野島良子氏の
「看護における技術と身体」 という文章がある。
絶版になっているため、長めに引用する。
われわれの看護する行為、ないし実践活動の根底にあって、
それを可能ならしめている技術は、
概略3つの、それぞれに異なった形をもつ部分から構成されています。
ひとつは手順としての技能、もしくは、
文字通りわれわれ看護婦の手を使って、仕事を完成させてゆくところの技。
ひとつは、コミュニケーションの技。
そして、最後のひとつは看護婦としての「私」が存在する術であり、
この術は前二者と併存し、あるいは、
前二者に絶えず浸透してゆく形において在ります。
(302頁)
全部で30ページにも満たないが、
厚い1冊にも匹敵するほど、また、
一生かかって読み込むのではないかと思うほど内容が濃い。
12月に統合医療学会で、
某大学でコンプリメンタリーセラピーを教えていらっしゃる先生と再会した。
いつも、まわりがキラキラしている素敵な方だ。
「最近、すごい文章に出会ったんです。」 と、この話をすると、
その先生は、野島氏の教え子で、この文章をとても大事になさっていた。
さらに、この3が日に、メヂカルフレンド社の方から電話がかかってきた。
10年ほど前に知り合い、年に1回ほど電話をいただく。
「あの、野島さんの文章を是非また出版してください!」すかさず言った。
やはり、そういう声が一部に根強いらしい。
看護師なりたてのころ、
自分と現実の折り合いをどうつけたらいいのかわからず、悩んでいた。
そのとき助けてくれたのも、現象学や先人の言葉がかかれた本だった。
Prost! Herr Gutenberg!
スピリチュアルな視点が加わる前の私を救ってくれた本。
『看護技術論』 という本が出版されている。
その中に、野島良子氏の
「看護における技術と身体」 という文章がある。
絶版になっているため、長めに引用する。
われわれの看護する行為、ないし実践活動の根底にあって、
それを可能ならしめている技術は、
概略3つの、それぞれに異なった形をもつ部分から構成されています。
ひとつは手順としての技能、もしくは、
文字通りわれわれ看護婦の手を使って、仕事を完成させてゆくところの技。
ひとつは、コミュニケーションの技。
そして、最後のひとつは看護婦としての「私」が存在する術であり、
この術は前二者と併存し、あるいは、
前二者に絶えず浸透してゆく形において在ります。
(302頁)
全部で30ページにも満たないが、
厚い1冊にも匹敵するほど、また、
一生かかって読み込むのではないかと思うほど内容が濃い。
12月に統合医療学会で、
某大学でコンプリメンタリーセラピーを教えていらっしゃる先生と再会した。
いつも、まわりがキラキラしている素敵な方だ。
「最近、すごい文章に出会ったんです。」 と、この話をすると、
その先生は、野島氏の教え子で、この文章をとても大事になさっていた。
さらに、この3が日に、メヂカルフレンド社の方から電話がかかってきた。
10年ほど前に知り合い、年に1回ほど電話をいただく。
「あの、野島さんの文章を是非また出版してください!」すかさず言った。
やはり、そういう声が一部に根強いらしい。
看護師なりたてのころ、
自分と現実の折り合いをどうつけたらいいのかわからず、悩んでいた。
そのとき助けてくれたのも、現象学や先人の言葉がかかれた本だった。
Prost! Herr Gutenberg!
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