This Category : ホリスティック教育
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2009.08.15 *Sat*
ホリスティック臨床教育学
看護がホリスティックナーシングを大事にするには、
自らがホリスティックを実践する生き方や、教育が欠かせない。
教育と心理療法とスピリチュアリティの統合の実践のためにかかれたものだ。
これを教科書として、講義があった。
中川吉晴氏は、2000年にトロント大学で哲学博士をとっている。
学位論文のタイトルは、Eastern Philosophy and Holistic Education。
仏教、インド哲学をもとに、多層的多次元的存在である人について
学び、考え、ワークをする。
観想的な自己変容の重要性を実感する。
中川氏が大事にされているのは 「気づき」
今、この瞬間に真に存在することで、
自分の中と外に起こっていることに気づくことができる。
ヴィパッサナー瞑想も初体験。
最も古い瞑想法の一つで、ブッダによって再発見された。
歩きながら、あるいは座ったままで、今ここの自分に気づいていく。
この瞑想を数分間行っただけで、頭がすっきりして身体が軽くなる。
肚がすわり、声が体の奥から出るようになる。
非常勤だったときに思いついて、
授業の最初に必ず、簡単な瞑想を行っていたが
学生の反応がとてもよかった。
たかだか数分、慣れれば1分もかからず教室の空気が変わる。
中川氏も、瞑想を教育や生活に取り入れることを提案された。
自分の思考(mind)や感情(emotion)がまじりあった状態で今にいるのではなく、
ただ単に今にいて、自分をながめる…
これって、現象学と同じ。
エポケー停止、カッコ入れを行って、
自分のマインドや感情の影響を受けない状態で、単に事象をみる。
実際、現象学と仏教の比較研究は結構なされているようだ。
あり方を問うものには、気づきが欠かせないということだろう。
中川氏は、最新刊では教育ということをほとんど出していない。
きっと、気づきは、教育という枠にとどまらず、すべてに共通することだから。
看護を考えていくと、自分自身のあり方になる。
しかし、そうするとどの分野にもいえることとなり、
学問として、専門職としての独自性を明示していくこととは、離れていってしまう。
分けて見ていく西洋と、つながりで見る東洋。
現代の大学での学問は、西洋の思想から生まれている。
はたして、「看護」哲学はありうるか??
教育でも、あるいは心理系でも
人を対象にする「学問」は、同じジレンマを感じているかもしれない。
自らがホリスティックを実践する生き方や、教育が欠かせない。
![]() | ホリスティック臨床教育学―教育・心理療法・スピリチュアリティ (2005/03) 中川 吉晴 商品詳細を見る |
教育と心理療法とスピリチュアリティの統合の実践のためにかかれたものだ。
これを教科書として、講義があった。
中川吉晴氏は、2000年にトロント大学で哲学博士をとっている。
学位論文のタイトルは、Eastern Philosophy and Holistic Education。
仏教、インド哲学をもとに、多層的多次元的存在である人について
学び、考え、ワークをする。
観想的な自己変容の重要性を実感する。
中川氏が大事にされているのは 「気づき」
今、この瞬間に真に存在することで、
自分の中と外に起こっていることに気づくことができる。
ヴィパッサナー瞑想も初体験。
最も古い瞑想法の一つで、ブッダによって再発見された。
歩きながら、あるいは座ったままで、今ここの自分に気づいていく。
この瞑想を数分間行っただけで、頭がすっきりして身体が軽くなる。
肚がすわり、声が体の奥から出るようになる。
非常勤だったときに思いついて、
授業の最初に必ず、簡単な瞑想を行っていたが
学生の反応がとてもよかった。
たかだか数分、慣れれば1分もかからず教室の空気が変わる。
中川氏も、瞑想を教育や生活に取り入れることを提案された。
自分の思考(mind)や感情(emotion)がまじりあった状態で今にいるのではなく、
ただ単に今にいて、自分をながめる…
これって、現象学と同じ。
エポケー停止、カッコ入れを行って、
自分のマインドや感情の影響を受けない状態で、単に事象をみる。
実際、現象学と仏教の比較研究は結構なされているようだ。
あり方を問うものには、気づきが欠かせないということだろう。
中川氏は、最新刊では教育ということをほとんど出していない。
きっと、気づきは、教育という枠にとどまらず、すべてに共通することだから。
![]() | 気づきのホリスティック・アプローチ (21世紀カウンセリング叢書) (2007/12) 中川 吉晴 商品詳細を見る |
看護を考えていくと、自分自身のあり方になる。
しかし、そうするとどの分野にもいえることとなり、
学問として、専門職としての独自性を明示していくこととは、離れていってしまう。
分けて見ていく西洋と、つながりで見る東洋。
現代の大学での学問は、西洋の思想から生まれている。
はたして、「看護」哲学はありうるか??
教育でも、あるいは心理系でも
人を対象にする「学問」は、同じジレンマを感じているかもしれない。
2009.06.22 *Mon*
相互性と対等性
ホリスティック教育協会の運営委員会&研究大会に行った。
会員数がここ1年でぐーっと増えているということ、
研究大会に会員以外の方の参加が増えていることなどなど
ホリスティック教育に対する関心とニードの高まりを実感。
大会の午前中は、京都大学の西平直教授が司会をされた、
人間形成における超越性の問題についての臨床研究学的研究―自己変容・ケア・関係性」
という会場の京都大学の博士課程の学生さん方の個人発表を聞く。
さすがに、教育学の研究のレベルの高さ、層の厚さを痛感し
看護学が学問として甘いということを思い知る。
一方、言葉を巧みに使い、理論や研究の手順を踏まえ
学術的にどんなにかっこよく発表できても、
結局、ケアでも教育でも、
人と対峙する自分を考えるときのトランスパーソナルな部分は
表現しづらいんだなーとも。
エネルギーのレベルで共鳴し、エネルギーとして共に存在しているときは
時計の時間でなく、その瞬間だけとなる。
体が現れ、そこに立ち戻り、
3次元的な世界で、時間の流れも通常の時計の時間であるところでは、
相手との違いがあらわれ、自分の役割が生じたりする部分で向き合っている状態になる。
同じ「今」にこの2つがある気がする。
それをどう、どの言葉で表現するか。
エネルギーのレベルで共鳴し、共に存在している次元では、
全く対等…というか同じソースの現れ方の違いであり、
身体の境が生じる次元では、相手と自分が分かたれ、相互性となる。
脳科学者のテイラー博士は、脳卒中で左脳の機能不全になった。
意識が戻った時、最初は人と自分の境がなかったそうだ。
左脳の回復に応じて、徐々に人との境ができ、「自分」を認識するようになる。
人は右脳も左脳ももっている。
とすると、人とモノとつながっていて境目のない右脳の状態から
人との境目ができ、自己として認識する左脳の状態の
どちらにもいられるということ。
人と対峙するときの相互性と対等性は、
こういうところにヒントがあるかもしれない。
会員数がここ1年でぐーっと増えているということ、
研究大会に会員以外の方の参加が増えていることなどなど
ホリスティック教育に対する関心とニードの高まりを実感。
大会の午前中は、京都大学の西平直教授が司会をされた、
人間形成における超越性の問題についての臨床研究学的研究―自己変容・ケア・関係性」
という会場の京都大学の博士課程の学生さん方の個人発表を聞く。
さすがに、教育学の研究のレベルの高さ、層の厚さを痛感し
看護学が学問として甘いということを思い知る。
一方、言葉を巧みに使い、理論や研究の手順を踏まえ
学術的にどんなにかっこよく発表できても、
結局、ケアでも教育でも、
人と対峙する自分を考えるときのトランスパーソナルな部分は
表現しづらいんだなーとも。
エネルギーのレベルで共鳴し、エネルギーとして共に存在しているときは
時計の時間でなく、その瞬間だけとなる。
体が現れ、そこに立ち戻り、
3次元的な世界で、時間の流れも通常の時計の時間であるところでは、
相手との違いがあらわれ、自分の役割が生じたりする部分で向き合っている状態になる。
同じ「今」にこの2つがある気がする。
それをどう、どの言葉で表現するか。
エネルギーのレベルで共鳴し、共に存在している次元では、
全く対等…というか同じソースの現れ方の違いであり、
身体の境が生じる次元では、相手と自分が分かたれ、相互性となる。
脳科学者のテイラー博士は、脳卒中で左脳の機能不全になった。
意識が戻った時、最初は人と自分の境がなかったそうだ。
左脳の回復に応じて、徐々に人との境ができ、「自分」を認識するようになる。
人は右脳も左脳ももっている。
とすると、人とモノとつながっていて境目のない右脳の状態から
人との境目ができ、自己として認識する左脳の状態の
どちらにもいられるということ。
人と対峙するときの相互性と対等性は、
こういうところにヒントがあるかもしれない。
2009.02.01 *Sun*
学校に森をつくろう!
学校教育の1つとして、学校に森をつくるという取り組みがあります。
これは「つながり感」を生かす教育を考え、実践されている
元校長山之内儀一郎氏によって始められました。
子どもたちと一緒に森をつくることで、
子どもの「気づく力」や「生きる力」を
自然と引き出すことができることに気付かれたのがきっかけです。
弁当の日と同じ、ホリスティックな教育方法です。
NPO法人 学校の森
http://gak-mori.jp/index.html
森は命のつながり、自然とのつながりを教え
感性を育み、
森をつくり維持するにあたって地域とのつながりをつくります。
この取り組みが、
2009年春より上映予定の映画で、取り上げられます。
映画のためだけの撮影となると、
木を植えても、撮影後は撤去されます。
でも、それだったら本当に学校に森をつくるところを
撮影しようということになったそうです。
「降りてゆく生き方」
武田鉄也主演
http://www.nippon-p.org/
この映画のテーマは、まちづくりを中心にした「自然/共生/希望」。
DVD化やTVでの放映の予定はないそうです。
これは「つながり感」を生かす教育を考え、実践されている
元校長山之内儀一郎氏によって始められました。
子どもたちと一緒に森をつくることで、
子どもの「気づく力」や「生きる力」を
自然と引き出すことができることに気付かれたのがきっかけです。
弁当の日と同じ、ホリスティックな教育方法です。
NPO法人 学校の森
http://gak-mori.jp/index.html
![]() | 学校に森をつくろう!―子どもと地域と地球をつなぐホリスティック教育 (ホリスティック教育ライブラリー) (2007/03) 今井 重孝、 商品詳細を見る |
森は命のつながり、自然とのつながりを教え
感性を育み、
森をつくり維持するにあたって地域とのつながりをつくります。
この取り組みが、
2009年春より上映予定の映画で、取り上げられます。
映画のためだけの撮影となると、
木を植えても、撮影後は撤去されます。
でも、それだったら本当に学校に森をつくるところを
撮影しようということになったそうです。
「降りてゆく生き方」
武田鉄也主演
http://www.nippon-p.org/
この映画のテーマは、まちづくりを中心にした「自然/共生/希望」。
DVD化やTVでの放映の予定はないそうです。
2008.11.23 *Sun*
見えないものを教える
意識や自分自身の在りかたが、人に伝わる。
意識せずとも「場」の影響を受け、その「場」を意識してつくることもできる。
こういう、見えないことをどう教えるか、ということを、
看護教育方法論にからめて考えていた。
と、はっと禅がひらめいた。
禅に、考えてわかる回路以外で物事をとらえる教育方法論があるのではないか。
実は、15年ほど前からの付き合いになる道場メンバーに、
永平寺で修行もした、曹洞宗の坊さんがいる。
早速連絡をとって教えてもらった。
「以心伝心」という言葉をもつ禅宗はまた、
主観的感覚的なことを言語化することにもずっと取り組んでいるという。
つまり、暗黙知を言語化などの形式知にするというプロセスだ。
そして、「灯史」と「語録」があることを教えてくれた。
「灯史」は、過去の師匠たちがいかにして悟りを得たのか、
いかにしてその教えが伝えられてきたのかという記録。
「語録」は、師匠たちがその教えを語った言葉を集めたもの。
当時の会話体の生々しい言葉遣いで記録されているそうだ。
ナラティブ!!!!
(直訳は物語。「説明」の科学的研究の一方の、
「理解」の質的研究で扱われる)
いやーーー、こういう発見がほんっとに楽しい。
ちなみに、ユングは禅に大変関心が深かった。
そして、J.ワトソンも、
著書ワトソン21世紀の看護論―ポストモダン看護とポストモダンを超えてで、
「ベッドメイキングにおける禅の意識」という章をもうけている。
↑
これ、ツボです。
禅に関することが、私達は日本語で読める。
なんてラッキーー♪
そうそう、その道場仲間の坊さんからのメールの最後には、
質問券11枚5万円って書いてあった(笑)
意識せずとも「場」の影響を受け、その「場」を意識してつくることもできる。
こういう、見えないことをどう教えるか、ということを、
看護教育方法論にからめて考えていた。
と、はっと禅がひらめいた。
禅に、考えてわかる回路以外で物事をとらえる教育方法論があるのではないか。
実は、15年ほど前からの付き合いになる道場メンバーに、
永平寺で修行もした、曹洞宗の坊さんがいる。
早速連絡をとって教えてもらった。
「以心伝心」という言葉をもつ禅宗はまた、
主観的感覚的なことを言語化することにもずっと取り組んでいるという。
つまり、暗黙知を言語化などの形式知にするというプロセスだ。
そして、「灯史」と「語録」があることを教えてくれた。
「灯史」は、過去の師匠たちがいかにして悟りを得たのか、
いかにしてその教えが伝えられてきたのかという記録。
「語録」は、師匠たちがその教えを語った言葉を集めたもの。
当時の会話体の生々しい言葉遣いで記録されているそうだ。
ナラティブ!!!!
(直訳は物語。「説明」の科学的研究の一方の、
「理解」の質的研究で扱われる)
いやーーー、こういう発見がほんっとに楽しい。
ちなみに、ユングは禅に大変関心が深かった。
そして、J.ワトソンも、
著書ワトソン21世紀の看護論―ポストモダン看護とポストモダンを超えてで、
「ベッドメイキングにおける禅の意識」という章をもうけている。
↑
これ、ツボです。
禅に関することが、私達は日本語で読める。
なんてラッキーー♪
そうそう、その道場仲間の坊さんからのメールの最後には、
質問券11枚5万円って書いてあった(笑)
2008.05.25 *Sun*
関心を持って見る
福岡でずっとお世話になっている美容師 I さん。
確実なカット技術と、デザイナーとしての感性、
支配人としての管理・指導力に、思わず笑ってしまうユーモアあふれる話術。
実力者の充実した気を身にまとっていて、
その「気」に触れて、自分が調律される感じがする。
全国145店舗あるうち、サロンが1位になったり、
デザイナーとしても、紹介客全国2位になったりしているようだ。
昨日、I さんの美容師なりたてのころの話をきいてびっくりした。
実は、学生時代は野球少年で、服もジャージなどしかもっていず、
働き出したときには、その服装では店に出せないと、
着替えに帰らせられていたりしたという。
「じゃあ、その感性は、働き出してから身につけたのですか?
それとも、野球の一方で、芸術などにも興味があったのですか?」
と尋ねると、
「働き出してからですね」 と言ってこう続けた。
「感性は、どれだけ感じたかという回数だと思います。
街を歩いていて、こういう髪型いいなとか、
鳥の羽を見て、ここにこういう色があるときれいだなとか」
「コンテストで優勝するような人で、お客さんがつかないということがあるんです。
それは、相手を感じてないから。
この人、髪のここが気になってるんじゃないかな、こうしたいのかな、
今日は疲れてるのかなって。
技術だけではだめなんです」
これこそ、相手に関心をもつということ。
ケアリングだ。
大学の学部生に、関心を持たないで相手を見るということと
関心を持って相手を見るというワークをしてもらった。
と、「関心を持って見る」ということに戸惑っている人が多くいた。
自分の関心があるところを見ていたり、ただ目を見ていたり。
そこで、関心を持つことについて宿題を出していたところだった。
美容師は人に触れる仕事であり、看護師と似ている。
確かな専門技術とコミュニケーション力両方が必要だ。
しかし、お客さんがつくかつかないか、経営面でのシビアさは
雇われ看護師以上である。
I さんが行っている美容師の研修について、少しお話をうかがったが
五感を使ったり、察する感覚を養ったりする興味深い内容だった。
専門性と実践を裏打ちする技術と感性。
心・技・体の看護道。
さて、どう教えていくか…
確実なカット技術と、デザイナーとしての感性、
支配人としての管理・指導力に、思わず笑ってしまうユーモアあふれる話術。
実力者の充実した気を身にまとっていて、
その「気」に触れて、自分が調律される感じがする。
全国145店舗あるうち、サロンが1位になったり、
デザイナーとしても、紹介客全国2位になったりしているようだ。
昨日、I さんの美容師なりたてのころの話をきいてびっくりした。
実は、学生時代は野球少年で、服もジャージなどしかもっていず、
働き出したときには、その服装では店に出せないと、
着替えに帰らせられていたりしたという。
「じゃあ、その感性は、働き出してから身につけたのですか?
それとも、野球の一方で、芸術などにも興味があったのですか?」
と尋ねると、
「働き出してからですね」 と言ってこう続けた。
「感性は、どれだけ感じたかという回数だと思います。
街を歩いていて、こういう髪型いいなとか、
鳥の羽を見て、ここにこういう色があるときれいだなとか」
「コンテストで優勝するような人で、お客さんがつかないということがあるんです。
それは、相手を感じてないから。
この人、髪のここが気になってるんじゃないかな、こうしたいのかな、
今日は疲れてるのかなって。
技術だけではだめなんです」
これこそ、相手に関心をもつということ。
ケアリングだ。
大学の学部生に、関心を持たないで相手を見るということと
関心を持って相手を見るというワークをしてもらった。
と、「関心を持って見る」ということに戸惑っている人が多くいた。
自分の関心があるところを見ていたり、ただ目を見ていたり。
そこで、関心を持つことについて宿題を出していたところだった。
美容師は人に触れる仕事であり、看護師と似ている。
確かな専門技術とコミュニケーション力両方が必要だ。
しかし、お客さんがつくかつかないか、経営面でのシビアさは
雇われ看護師以上である。
I さんが行っている美容師の研修について、少しお話をうかがったが
五感を使ったり、察する感覚を養ったりする興味深い内容だった。
専門性と実践を裏打ちする技術と感性。
心・技・体の看護道。
さて、どう教えていくか…
| ホリスティック教育 |






